右の眼窩

薄暗くて狭いところ

日記・四月十六〜二十日

四月十六日
 私は同音異字の安易な共通化(変える、代える、換える、替えるなど)については基本的に反対のスタンスを取っているけれども、サイトウさんのサイの字が三十一種類もあるのはさすがにばかじゃないかと思う。いくらなんでも限度ってものがある。せいぜい五種類くらいに収めてほしい。

四月十七日
 先々週ころ買った水筒、デザインがとてもよく、保温性も気密性もばっちりでたいそう気に入っているのだけど、昼を過ぎても熱くて飲めないのが難点だ。自分がとんでもない猫舌だということが、購入時点で完全に頭から抜けていた。数年に一度しか買い換えないためか、毎回似たようなミスをしている気がする。毎朝コーヒーを淹れるのも好きだが、こちらも熱くて飲めないため、食事をして着替えて出かけ際ぬるくなったところを一気に飲むという、優雅でも何でもないルーチンを生んでいる。

四月十八日
 納期直前でも生理は訪れる。下腹部がつねられるように痛む。腹が立ってくる。本当は休みたいけれども、スケジュールには一日の猶予もない。仕方がないので鎮痛剤を口に放り込んで痛みが収まるのを待つ。内臓を掻きずりだしてしまいたいと毎月思う。子宮も卵巣も卵管も全部取って、欲しい人にあげてしまえばいいのだ。本当は膣もいらない。尿道口と肛門が分かれている意味もないと思う。老廃物は全部一箇所からいっぺんに出ればいい。ばーかばーか。

四月十九日
 上司の言葉はきれいに整えられている。圧迫的にならないよう意図された言葉の崩れは多いが、文脈の崩れはほとんど無い。わかりやすく完結で、その上ネガティブな印象まで完璧に排除している。何かを指摘するときも不機嫌ではないというポーズをきちんと張る。丁寧に調律された声色、口調、仕草。怖いなと思う。本心を隠すヴェールだけが見えてその内容が見えないというのは怖い。もちろん、当人が隠そうとする限り隠したままのものを受け取ろうとは思うのだけど。

四月二十日
 なんだか疲れている。理由はわからない。ささくれだった神経に有象無象の全てが刺さる。人の姿が不愉快で、音楽も不愉快で、何かが目に入り耳に入るとそのすべてにいちいち気を取られる。気が散る。まとまらない。頭の中がばらばらになっている。手足がイライラしてただ座っているだけでもしんどくなってくる。午後になって頭がくらくらし始めた頃に「もしや貧血では?」と思いつく。人体に慣れていない感じがある。