右の眼窩

薄暗くて狭いところ

日記・四月二十三〜二十七日

 実家に泊まるとだいたい金縛りに遭う。私は声を出そうとしたり起き上がろうとしたり目を開けようとしたりして足掻く。休日なんていつ眠っていてもかまわないのだから眠っていればいいのだけど、自分の体が思い通りにならないというのはどうにも歯がゆく、つい毎回起き上がろうとするのだ。どうして実家で眠ると金縛りに遭うのかはわからない。アパートの自室で眠ってもちょくちょく金縛りには遭うのだけど、確率の偏りが誤差のレベルではない。

四月二十三日
 昨日チーズケーキを作るのを手伝った指先からバターとレモンの香りが抜けない。暑かった昨日とは打って変わって、今日はだいぶ寒い。雨のにおいがする。この季節は一雨ごとに気温が下がり、上がる。自分の内側の温度を頼りに生きていく季節が終わり、自分の皮膚の熱さにうんざりする季節がやってくる。夏野菜が食べられるのは楽しみだけれど、夏。夏かあ。

 熱病の記憶は遠く二十五を過ぎた僕らにまた夏は来る #tanka #jtanka
 変わるもの変わらないもの変えたもの変えたふりして隠してるもの #tanka #jtanka

四月二十四日
 最終的な目標がないから行き当たりばったりで軸がブレるんだなと思ったときに、ふと思いついた「最終的な目標」にちらっと笑ってしまった。明らかに間違いだと知っている、心から願ってやまない結末。それを得られたらどんなにいいだろうと思いながら、そうならないように必死でブレーキを掛けなくてはならない願い。そもそもきっとそうはならないという諦め。早く手遅れになってしまえ。早くただの後悔になってしまえ。

四月二十五日
 自分の声というものを実はもうあまり覚えていない。暗いだとか不機嫌っぽいだとか言われて身につけた少し高い声が、その当時どれくらい無理のあるものだったのかも。そのようにして作り変えた場所がどれくらいあるのかもわからない。自己同一性。自己の連続性。ミクロに話を持っていけばただ細胞の塊でしかないこのわたしが自由に動き文章を紡いでいるのは奇跡だといえるし、マクロに話を持っていけばこの広い宇宙においてわたしやわたしの一生になんの価値があるだろうか。自己同一性。くだらない。人間は視野が狭くていけない。

四月二十六日
 わたしの中では単体テストに区分されているものが会社では結合テストに含まれていたり、その逆もまたしかりで存在して、どうにもコツがつかめない。単体テスト結合テストの弁別の条件が大きく違うらしい。

四月二十七日
 今月は何だか意味がわからないようなことがたくさん起こる。読んでいた小説の作中人物に刺されたり、応援していた漫画のキャラクターが話しかけてきたり、某先生の某作品の映画のエンドロールに名前が載ることになったり、Webで書いていた小説に運営からレビューが付いたりする。意味がわからない。もしかしたらわたしは今月の末に死んでしまって、来月が存在しないんじゃないだろうか。丸一ヶ月エイプリルフールをやられたような月だった。