右の眼窩

薄暗くて狭いところ

最近のニュースについての雑感

 誰でも良かった系の犯罪が起きると「誰でも良かったって言いつつ弱者を選んでるじゃないか」という種類の憤懣が目に入ってくるのだけどそんなの当然だろと思う。誰でもいいならリスクを低い方を取る、まったく当たり前だと思う。誰でもいいからこそ適当な弱者を選ぶのだ。なぜならその方が目的を達成できる確率が高いから。

 その「弱者を選ぶ」ということを「冷静」と認識する人が多いのにも驚く。私はもっと原始的なレイヤーの、本能の部分だと思う。ライオンだってシマウマを狩る。

 話変わって虐待死事件。これについて児相を責める人たちが散見される。これも同じ、弱者を選んで攻撃しているに過ぎない。弱者と言うか、「確実に殴り返してこない相手」。そりゃ実際に虐待をしている怖い人(実際に虐待をしている人は必ず強者というわけではないがそういうイメージも散見される)よりも真面目に働いている人を攻撃する方がリスクが低い。「持て余した正義感をぶつける」という目的にリーチするならば「確実に殴り返してこない児童相談所職員」を殴った方がいい。

 ちなみにこの場合の「正義感」は恐怖や罪悪感から来る偽の感情だと思っていて、児相を攻撃するのは代替行為だと思っている。ショッキングな報道で傷ついてしまったのを怒りと勘違いして自分を守るということ自体は別に不健康でもなんでもない。でも偽りの正義感に唆されて業務妨害かます彼らの何が通り魔と違うだろうか。

 私は裁判員制度情状酌量について一切の必要性を感じない。法の裁きに人の心はまったく不要だというスタンス。

 情状酌量が必要な人間が加害者になるならその前にきちんとケアされるべきなのであって、裁判所に情は必要ない。もちろん過失致死やら正当防衛過剰防衛については正しく判断されるべきだと思っている。でもそれだって裁判所に辿り着く前の、捜査の段階ではっきりしなくてはいけないことだ。

 

 というようなことを人に話したら引かれた。難しいな人間。