右の眼窩

薄暗くて狭いところ

サルベージ・1

 十代の頃からあった厭世感が歳を重ねるごとどんどん強くなって別に死にたいわけじゃないけどそれ死でしか解決できないよねみたいな種類の歪みが自分の中に溜まっていって結果的に死にたいみたいな感じになる。
 例えば人の感情の機微がよくわからないとか年齢によってすべきことがよくわからないとかどんな服を着てどんな本を読んでどんな話をすればふつうと認めてもらえるのかみたいな、ひとつひとつはそういう細やかなことだ。ふつうと認めてもらえないならそれはそれでそういう友だちがいればいいのかもしれないけれどあいにく友達の作り方もわからないのでふつうになれなければずんずん孤独になってしまって何しろ生来自閉傾向があるものだから寂しいと思っても次の瞬間にはまあいっかという具合になってしまってそれがより一層世間との軋轢というか溝みたいなものになっていく感じがありこの歳になってときどき怒られるのであんまりよろしくはない。個人的にどうでもよくても社会的にはあんまりよくないっぽいのだ。迷惑をかけるのは本意ではないし、極論言えば社会にコミットしない人間は社会に不要ということになり、社会に不要な人間は賃金をもらえないし賃金をもらえなければ本を読むことができない。それはよくない。
 だからどうにかしてふつうというメダルを獲得しようとするのだけど今までだってそれなりに頑張って生きていたつもりなのだけどどこから手を付けていいかがわからなくて呆然としてしまう。今まで目の前にある集団を外から観察しつつ上辺だけ真似することで取り繕って生きてきた上、歳を重ねるごとに友人がガンガン減ったのでサンプリング数も減り、その少ない友人ともめっきり疎遠になってしまったので私は今下敷きがないような状態になっているのだった。
 取り敢えず仕方がないので少々年齢層は合わないけれど会社の人々をサンプリング対象として上辺だけの社会人ムーヴを獲得したはいいのだけどそうしたら今度は実家から「結婚はしないのか」みたいな打診が来ていやいやちょっと待って。そんなもんは知らない。だって下敷きがない。
 恋愛ってどうやんのみたいな話を始めてもちょっと仕方がないので世にいう恋愛小説てきなものを読んでみるのだけどそれもなんか「恋とはするものではなく落ちるもの☆彡」みたいなノリで何の参考にもなりはせず、「友だちに知られずこっそり恋活☆彡」みたいなサイトにいや友だちもいないからあんまり関係ないんだけどと若干の後ろめたさを感じながら登録してみたら父親より年上みたいなひとびとからウインク(という機能がそのサイトにはあった)が飛んできてげんなりしてそっと退会したりした。ウインクて。もう響きがキモい。
 この段に至って「わたし別に恋愛も結婚もしたくないな」とは思ったのだけどそうすると今度は社会的な女性という概念に対する思考に沈んでしまって意味がわからない。ある程度の年齢を超えた女性は社会のどこにもいないように見える。いや、それは多分わたしが一業種しかやったことがないせいなんだろうけど、保育士とか介護士とか看護師とかいやそれ今更手遅れじゃない? みたいな職業しか思いつかない。パートやバイトで一人食っていけるとも思えず、というかそれで食べていくほどの収入を得ようとしたら本を読む時間が取れなくなるんじゃないかと思う。わたしの体力値は低い。週五日八時間働くだけでもふとすると起き上がれなくなる。仕事したくないなあとつぶやくと母から「じゃあ結婚でもすれば」とコメントが飛んできていやいやいや。働きたくないから結婚って何その寄生体質キモい無理。
 正直なところ恋愛とセックスが紐付いてるのがキモいしセックスと生殖(ひいては出産)が紐付いてるのがキモいし恋愛と結婚が紐付いてそこに家族計画みたいなものが紐付いてるのがキモいしそこに「働きたくない」って理由でカチコミかけようとする心理状態はマジで理解不能無理。でもそれが母にとってはそんなに抵抗のないものであるらしい。異世界過ぎる。
 これは昔の話なんだけど、むかし母は「自分のお腹から出てきたから自分のものだと思った」と私に言った。確か、大喧嘩をした直後の相互反省会かなにかの時に。でもそれは私だって頭のどこかでは思っていることで、血がつながっているから理解し合えるはずだみたいな、もっと言えば私は母の腹で作られたものなのだから母の価値観を引き継いでいておかしくないのではないかみたいな考えがあり、こうまで別の生き物なのかと思うとぞっとする。私は何の腹から生まれたんだ。いや母だ。そして私と母が別の生き物なのはあたりまえのことなのだ。しかし自分たちがなぜ結婚したかみたいな話を一切しないまま「働きたくない」に対して「じゃあ結婚でもすれば」なんてセリフを投げてそれがジョークだとしても伝わらないだろう母よ。
 わたしが就活で内定が取れなくて病んでいたとき父も「女の子なんだから結婚すればいい」みたいなことを言っていたのであの世代の結婚に対する執着は何なんだろうか。あるいは責められているのだろうか。早く孫の顔を見せろとはそれこそ中学生の時から言われていたけれど残念ながらわたしは男性に好かれたことがない。好きになったことはあるけど、第二次性徴以前の話だ。ラブレターを書いて回し読みされたのが十一歳のときだっけ、それくらい。
 ああいや違うな、多分男性に好かれたこともある。あれは結局、一方的なセクハラと一方的な拒絶により一時間そこそこで片付いたのだけど。あれ確か父より年上だったぞ彼?
 両親や祖父母の「いいひとはいないのか」というのはつまり年齢、性別、外見、内面、収入その他について彼らの定義する合格ラインを超えた上でわたしのことを好きになる人というような意味合いで、残念ながら私自身がそんなスペックは持っていないんだけど、あの人たちはたぶん娘(孫娘)可愛さでそれが見えていないのだ。わかってくれ、私はぶすで、私はコミュ障で、私は人嫌いだ。どれもわかるはずがない。私はきっと上手に取り繕えている、彼らの前でも。
 私は十余年をかけて取り繕うのがとても上手になった。感情的にはならない。感情的であるふりをする。本当の感情ではなく、場にふさわしい、好ましい感情の発露をする。素直に見えるように、正直に見えるように。誰にも傷を悟られないように。傷ついたのを気取られたらもっと攻撃されるかもしれないから。本当はそんな幼稚さを持っている大人はそんなに多くないのかもしれない。けれど思春期より前に形成されたその防衛装置を取り外すことがもうできない。なにしろ私はその十余年前から何ひとつ成長していないようなものだから。人の信じ方も、恋の仕方も、何も知らずに生きてきてしまったから。笑わない方法、泣かない方法、怒らない方法――しない方法ばかり上手に覚えて、やりかたを知らないから。笑う方法(というより笑顔の作り方)は、必要に迫られて覚えたけれど、泣き方と怒り方は今もよくわからない。飲み込むことしかできないので割と損な属性だ。
 とはいえ社会的にも怒るべき場面みたいなものはある。何の事前通告もなく一方的に予定を変更された時とか。でもその怒り方もよくわからない。失礼じゃないかと思うのだけど、上司から部下に対して払うべき礼みたいなものが社会的にどれだけコンセンサスのあるものなのかもわからない。それを自分から主張することの正当性もよくわからないけれど自分以外に誰が訴えるのだという気もして、ぐるぐるしている間に機を逃す。
 言語能力の大半を小説と辞書で培ったせいか口語をそのまま書き出したような上司からのメッセージも読めない。てにをはが使えない人というのは割と普遍的に存在しているのだということをここ数年で学んだ。こういう認識で合っていますかと聞き返すと怒られたりすることも学んだので話すこと自体が億劫でたまらない。人間は無理。でも無理なのはたぶん周囲から見た私の方で、そうすると冒頭の「死にたいっぽい気分」に戻っていく。
 何かを獲得しないままこの年齢まで生きてきてしまったみたいな感覚は年々強くなるもののその「何か」が何なのかはいまだに分からず、ファミ通に載ってないかなみたいな現実逃避が積まれて結局努力はしていない。
 もしかしたら人生の全体が音ゲーみたいなもので、タイミング良く何かをしなくてはいけないもので、何かをやり逃したのかもしれないという気分がある。だから今こんなにもゲージが減って、疲れている。回復アイテムとか、何かを取りこぼしたんだろう。ボールを落とさないことに必死になって、落ちてくるアイテムを取ることができなかったのだ。ブロックはろくに崩れていない。バーも広がっていない。これがもうちょっとちゃんと広がっていれば、アイテムを取ってバーを広げて、アイテムを取って回復して、アイテムを取ってボールを増やして、そうすれば、というわけのわからない思念が湧いてくる。人生ブロック崩し。意味が通っていない。なんだってこじつけていけるのが私の特技だ。屁理屈が多いとそういえば昔から言われた。何がつながっていて何がつながっていないのかが曖昧なのだ。あんまりちゃんと切られてないサラダみたいな。
 何をどこからやり直せば「ふつう」になれるのかがよくわからず、それは今からリカバリ可能な範囲のものなのかも測れず、考えるのも面倒くさい。かといってこのまま先細りしていけば早晩潰れる。
 親交というのは相互的な披瀝の上に成り立つものだ。私のそれは大半が嘘でできている。なぜなら私の話をすると私の話になってしまうからだ。目の前の人間との共通項が少なすぎて、会話のリレーが成立しない。そうそうわかる〜というところに入っていけない。わからないしわかられない。ごく稀に頑張って「わかる〜」をやってくれる人もいるのだけどそうなると今度は私がわかれない側になってしまう。「わかる〜私もこうでさあ〜〜」みたいな話に入ると「何がわかってその話に……?」となってしまってよろしくない。相互理解に憧れはあるものの他者に対する理解能力というのが著しく低い。
 こんな私にも友人がいないわけではないのだけど友人との会話は基本的にナイフを投擲し合う遊びに近くお互い特にキャッチとかはしない。スペツナズナイフ投げ合戦。ときどき刺さる。友人の「わかる〜」はだいたい斜め上高度8000ftという感じなのでいっそ気が楽である。昔「育ちすぎて売れ残った蘭鋳に似ている」と言われたことがあり、わからない。褒められたのか貶されたのかもわからない。そういう彼女はロシアンブルーに似ている。こっちからかまうとうざがられるし向こうからかまってくるのをなおざりにすると拗ねる。