右の眼窩

薄暗くて狭いところ

リメンバー・ミーがすごく嫌だったという話

 そういえばこの前の三連休で実家に戻って(近距離別居なのでしょっちゅう実家に帰っている)リメンバー・ミーを見ました。やー、ひどいなあれ。胸糞悪かった。あれが世の中的には感動できる温かい物語なのかと思うと世の中との溝を感じずにはいられない。私の大嫌いな愛のそのものがこれでもかと詰め込まれていて、ディズニー(制作はピクサーだけど)がこれやるのか……と頭を抱えていました。
 あんだけ抑圧して好きなもの貶して愛を押し付けて心的虐待じゃねーの?みたいなことやっておいて何のお咎めも無し。なんで子供の側が大人を許してやってハッピーエンドなんだ?特にギター壊したババアなんかたとえ語られていない部分で泣いて土下座していたとしても許す必要がない。一切ない。人の大切なものを壊すことも楽器を壊すこともそれぞれ万死に値する。マジで最悪。
 私の中には「音楽は最高」という確信があるので音楽を否定する人間は大嫌いです。音楽は最高です。
※ここで言う音楽は「聞いていて心地いいもの」であり、聞いていて心地よくないのであれば周囲にどれだけ褒められているものでも雑音
※故に「音楽」の定義は聞く人間の内にしか存在しない
※音楽のジャンルやら特定の曲を否定されることではなく「音楽」そのものを否定されることが逆鱗
※私もガムランとか正直ちょっとよくわかんない……
 余談ですがカラオケでヒプマイ曲歌ったらラップ部分が全部間奏扱いになっててちょっと笑いました。ラップは間奏。いやまあ音程が無いから採点のしようがないってだけでしょうけど、せめて表記だけでもなんとかならなかったのかな。

 ミゲルが死者の国のステージで歌ったときには「こいつこのまま死者の国にいればいいんじゃないかな……」と思いました。二度目の生があるなら死ぬデメリットが特に無い。しかも抑圧してくる家族もいないし。生者の国の魅力が描かれないままお話が進んだので「何ゆえそんな必死に戻ろうとするのか……?」と思いました。戻りたい理由が伝わってこなかった。一切。そりゃあヘクターてきにはミゲルが生き返って誤解も解けて万々だろうけど、ミゲル……。作中で一番得したのってヘクターだよね。誤解は解け、名声を取り戻し、娘にも再会した。

 愛とは唯一合法の暴力である。ただ、合法だからといって許す必要はない。許しの物語にはゲェーとなってしまう。いや主人公が子供なんで許すも許さないも特になく音楽ができる!ハッピー!やったー!で終わっていいのかもしれないけど、どうしても「親の心子知らず」みたいな方向に見えちゃうのがやーだー。
 あとココが手紙だの何だのずっと隠してたあたり、誰も彼女の話なんか聞いてなかったんじゃないのみたいなアレもある。ヘクターの嫁とか嫁の兄弟とか。嫁については心中察するにしても、それでも子供の前で親を全否定するなんて最悪なことだ。あの年になるまで大好きな父を否定され続けて父の手紙やら写真を隠し続けて生きたんだと思うとつらすぎる。パパに再会できてほんとうによかった。じゃなきゃマジで救いがない。破られた写真の破片を拾ってしまい込んだ彼女の心情たるや……。
 ミゲルが死者の国に行かなかった場合(あるいは死者の国でヘクターに会わなかった場合)、ヘクターの誤解は解けないまま第二の死を迎え、ココはヘクターに再会できず、ミゲルは音楽を奪われる。この筋の嫌なところは、それでもそこそこハッピーエンドにできちゃうだろうってところ。知らない不幸は不幸にカウントされないからね。
 冒頭付近で「デ・ナーダ!」が聞こえたのであースペイン語だーとなっていました。FGO1部7章でやった。デ・ナーダ!ムーチョムーチョ!
 ラスト、ココがギリギリ生きてたからヘクターを思い出してハッピーエンドにこぎつけたけど、あれココが亡くなってたらアウトだったんですかね?