右の眼窩

薄暗くて狭いところ

日記・2020年09月08日

SafariからSSL対応をやったらChromeからも編集画面を開けるようになった。このあたりセキュリティの差が出る。ある意味では便利だけど。

 

 

「褒めるときは結果でなく過程を褒めろと言うよね」みたいなコメントを見たので「過程を褒められて歪む人間もいるぞ……」という気分になった。
わたしは昔、「努力家」「頑張り屋」みたいな方向性で褒められてた人間だ。でもだめだった。主体性は育たなかった。学校では目標も課題も与えられるので簡単に努力できたしその結果も見えた。社会に出たら全然だめだ。
目標は自分で作れとか言われるし結果は見えないし、どう努力していいのか全然わからなくて、ずっと努力家で褒められてたのに(≒結果は出ていなかったのに)努力すらできない自分に価値を感じることができない。

まーーーーーーーー正直なところ資本主義社会で個人の努力に何の価値があるよって思わないではないんだけど、それでも、愛されるだけの価値がないみたいには思っちゃうな。人間社会、お金か愛でしか生き延びられないので。
忍耐は努力ではないでしょと思うだけの正気が残っているのでますますあれよ、全然だめ。頑張れないし結果も出ないし何も楽しくないし生きてる意味が見当たらない。

 

何か目標がほしいな〜と思ってカウンセラーに話してみたんだけど自分の中で結論が出ていないことを話すのが無理だってことがわかっただけだった。他者から結論を与えられるか、自分で結論を出すかの二択で、「相談して形作る」ということができないっぽい。今までやってこなかったからできなくて当然なんだけど。