右の眼窩

薄暗くて狭いところ

2020年03月20日

「100日後に死ぬワニもうすぐ100日目!死ぬときに後悔しない生き方とは!」みたいな記事を見かけてとても素直に「ワニより先に死ね」と思った。人のコンテンツに乗っかって雑な持論展開する記事だろどうせ。踏みたくないから踏まないけど。どうせお前(誰だか知らないし確認もしていない)が主張したいことに記事タイトルの前半いらねえんだろ。リンク踏ませるためにタイトルに他人の作品名入れたろ。なあ。他人の褌を雑に扱うんじゃあねえよワニより先に死ね。

 さて(冷静)。後悔しないということについて。
「後悔」には「反省」と、ええと、うんそうだねマイルドな言葉が思いつかないけどもう片方は「自慰」だね。この二種類がある。なにしろ過去は変えられないから、未来に対して悩むよりもずっと安心して悩んでいられる。「できなかった」を「できたはず」にすり替えて気持ちよくなれる。「これからの選択を間違う不安」よりも「過去の選択を間違えた後悔」の方がずっと気軽で甘いから。
 そもそもここの弁別なしに語られる「後悔」という語が割と嫌いなんですけど、まあ区別する必要も特にないんでしょう。「なんであのときああしなかったのか」?判断力か決断力が足りなくてできなかったんでしょ?しなかったんじゃなくできなかったんだよ?
「できなかった」を「やらなかった」にすり替えて「やればよかった」と後悔するの、甘くて素敵。過去の自分の能力はどうも嵩上げされがちでいけない。できなかったんだよ、君には無理だったんだよ、認めようね。

「(死に瀕して)後悔しない状態」についてもたぶんざっくり二種類あって、

1. 満足した状態。自分がやり残したことも誰かが引き継いでくれるという信頼があり、心配事がない。
2. 諦めた状態。そもそも未来に対して夢も希望も期待も無いので後悔しようにも具体性が伴わない。

 単純な話、「死にたい」と思って生きてれば死ぬときに後悔などあろうはずもないというアレ。僕が「完璧な満足と完璧な諦めは同じもの」と言っているのはこのあたりの話で、つまり「今以上は存在しないと受け入れること」が満足=諦めであると。※1=2の証明式みたいなことを言っています
 物語としては「死の間際になって後悔が発生する」はかなり美しいと思うよ。やはり人間そうでなくては。おろかおろか。ちなみに(1)に関しても「他人に引き継げない希望が無い」みたいな前提が必要です。例えば「恋人を幸せにしたい」「子供の成長を見届けたい」なんていうのは、引き継げっていうのも無理な話。どんだけ卒なく生きていても防ぎようがない。

 私は不如意に死ぬなら後悔するだろうなと思いますけどね。主にスケベブックを処分していないことについて。いくら理解があって頼れる弟がいるとはいえ、授乳プレイ本(BL)遺して死ぬのはちょっと避けたい。あれがなんだかんだ私を生かしてる側面がある。あれがある限り衝動的に死ぬわけにはいかねえんだ……

「後悔しない生き方」、持て囃されがちですけど、たぶんそれ伸びしろがないよなと思う。正しい後悔(反省)は未来へ進むための糧です。人生になくてはならないもの。私はそのように思う。どこぞのなんとかえもんがそんなタイトルの本の表紙に映っているのを見ると「あんたはちっと後悔しろよ」と思いますけどね。犯罪やってムショに入って後悔しない人間だいぶ怖い。まあ当人の精神性はともかくとして、アレを買う人間はマジで何になりたいんだ?
 特に収監されていた件に関してどう書いてあるのかが気になる一方、印税を払いたくない&とはいえ中古本は信念に悖る(印税を払わないのなら読むべきではない)ので読みません。そして読んでいない限りは言及しないに限る。この話はここで終わりです。

 別に自慰行為が悪いとは思わないよ。体にしろ心にしろメンテは必要だしね。悪いとは思わないけど、自慰は自慰として認識しようねというだけのお話。そこに他人を巻き込んだら普通に迷惑ですからね。人に見てもらいたいなら合意を取ろうね。
 そんで、理想の死に方というのは「多少の後悔もひっくるめて自分のものと受け入れている」ことだと思うんですよね。サイコパスかな?