右の眼窩

薄暗くて狭いところ

死んだらどこへ向かうんだろう

迷宮壁を聞きながら「私たちが真に恐れているのは死ではなく自我の消失だ」と思ったので書く。

転生論とか天国地獄極楽とかなんか色んなものが死後のルートとして用意されている。厳密に言えば天国地獄は転生の前の話だった気がするし(そうだっけ?)極楽は極楽浄土への転生なのでちょいプロセスとして違うんだけどまあそのあたりのあれそれに自我の消失は付随するのかという話。

前世の記憶が無いのだから転生が真実であっても前世の私の自我はどこかで消失しているはずなんだよなと思う。

 

「たとえば」と書く。

 

「たとえばこういうのはどう? まず私の前世がかたつむりだとするじゃん」

「かたつむり」

「かたつむり。彼らにも何かの思考ルーチンが存在し、意志や記憶、感情を持っている。でもその意志や記憶、感情、クオリアプロトコルは人間と違っていて、だから今の私はそれを思い出すことができない」

「あー。あれだよね人間生まれてから今までの記憶を全部持ってるって言うよね。思い出せないだけで」

「そうそう。思い出せないことと存在しないことは同じじゃないかって話を横に置けば、自我の消失は無かったかもしれないことになる」

「理屈はわかる」

「でも私の無意識、識閾下では思い出すことができなくても無意識にはかたつむりの記憶が残っていて、私の意思決定に影響を及ぼしている」

「かたつむりが」

「かたつむりが。例えば丁字路を左右交互に曲がりたくなるとかそういうの」

「それダンゴムシじゃなかった?」

「そうだっけ? まあいいじゃんどうでも。思い出せないことと存在しないことを同一視しちゃったらほら、フロイト先生が怒るから」

「急に発達心理学まで話を飛ばさないでほしい」

「似たようなものでしょ」

 

かたつむりの記憶。何を言っているんだろうか(思考しているのは私のはずである)