右の眼窩

薄暗くて狭いところ

自分を愛するように、あなたの隣人を愛しなさい。

 買い物に行って帰ってきたらアパートの前に猫が居たので猫!猫だ!猫かわいい!かわいいねえいいこだねえ!!となっていたら宗教勧誘に捕まった。猫お好きなんですかと訊かれたので近所のおばちゃんかな?と思って猫好きです可愛いですよねと答えたら宗教勧誘だった。不覚。

 住居がバレているので、かつ猫好きがバレているので、勧誘のポストカードに猫のイラストが入っていると「あなた猫好きでしょ!」と持ってきてくれる。極めて親切に近い。今日はイラストを書いたご本人まで連れてきてくださった。絵が可愛いと褒めちぎっておいた(讃辞を惜しんではならない)

 平均のラインは知らないにしろ、私にもちょっとした知識はある。例えば勧誘に来ている、自らはクリスチャンを名乗っているその団体が、バチカンから名指しで異教扱いされていることとか。

 別の宗教で同じ神を祀ること自体に何か問題があるとは思わないので(旧約聖書とかたしか結構いろんな宗教に関連してたような)そっちを論う気は無いのだけど、クリスチャン名乗るのはやめとこうぜとちょっと思う。めんどいから言わない。

 何回目かに来たときに名前を聞かれたので息をするように偽名を名乗ったら(実名である必要が無さそうなときに名乗っている名前が私にはいくつかある)覚えてくれていて申し訳ないようなそうでもないような。

 今日もいらしたのでクリスマス近いしその話かな〜と思ったらそうでもなかった。年末近いですね今年はどうでしたかと訊かれたので忙しかったですねと答えたら充実してたんですねとにこにこされてそんなもんかなー。

 聖書の言葉はなにかご存知ですかと訊かれたので「隣人を愛せよ」と答えたら、タイトルの文句が返ってきた。うーん自己肯定感……。

 おそらく向こうのシステムは神を介して自分と他者とを愛せよというアレだと思うんですよ。神に愛されている自分を愛す、神は等しく子どもたちを愛しているから隣人も愛す。でもそれって神の実在と愛とを信じていることが前提のフローになるわけで、私には合わない。

 順番が違えんだよな〜〜〜〜〜〜〜〜〜と思いながらお話を聞き、良いお年をと挨拶して別れた。どうせなら神の実在性について説いてくれた方が(私は)面白く聞けそうなんだけど、まあ世の大半は警戒するだろうな神の実在性……。