右の眼窩

薄暗くて狭いところ

読書感想文:流しのしたの骨(江國香織)

 友だちに勧められて江國香織「流しのしたの骨」を読みました。
 ずーっと怖かった。ずーっと怖くて何も回収されないまま話が終わってびっくりした。何。

 全体的には家族のお話です。津下に嫁いだ長姉のそよちゃん、働いている次姉しま子ちゃん、「今は何もしていない」主人公こと子、「小さい弟」である律。それから父と母。
 最初のうちはよかった。最初のうちはよかったんだ。でも途中からどんどん怖くなっていった。家族間の距離感の無さ、お互いを杜撰に扱う言葉選び、それを当然としてお互いに傷つきもしない閉鎖的な空間。ずっと不穏で不吉なのにそのことが作中人物からは全然見えていない、みたいな。
 特にこと子からしま子への態度。人が篭って泣いている部屋の扉を蹴るとか無いでしょ。そもそも人に対して「妙ちきりん」って言い方もかなり揶揄っぽくてやだ。そもそも人のこと言えるかあなた。律の部屋のクローゼットを勝手に開けるのもダメでしょう……(もちろん個人間の合意があるようなのでこと子と律の間で問題にならないことはわかる)個人的には「これを『不思議で心地よくいとおしい物語』で括るのか?!」という感想。少しも心地よくなんかなかった……ずっと居心地が悪かった……。
 もしや時代の違いか? と思ってamazonとか読書メーターのレビューを見に行ったんですけど「退屈」「起伏がない」系の他は概ね好意的で、つまり「やさしい」「ほっこり」「なごむ」などのワードが並んでいて、マジかってなった。「起伏がない」のほかはひとつも同意できない。起伏は確かに無い。いやしま子ちゃんの子供の件とかそよちゃんの離婚の件とか律の停学沙汰とかあったけど、物語全体の山とか谷とかそういう種類の起伏はない。でもひたすら足つぼマットが敷かれた道みたいな、つまりまったく退屈ではない。
 お父さんの「そよはもう津下の人間なんだから」が象徴的だと思うんですけど、「家族だから」っていうのがものすごく強いのですねこの作品。こう、なんか、大きなイベントが怒らない作品だからこそ剥き出しになる価値観。自分のそれとは全然一致しないのにそれがテーマでもないという別の居心地の悪さ……一般的な「普通の家族」自体がこうなの……? これ系の作品で感想に共感できないとむやみに不安になってよろしくない。
 小説の感想に別の人の別の小説を持ち出すのは下品だとわかっていますがあれを思い出した。村田沙耶香「タダイマトビラ」。あれはあれで「家族なんて相互的な家族ヨナニーの場なんだし諦めえや」と思って読んでましたけどその体現がこれという感じでやはりおぞましい。「家族なんだからこれくらいしてよ」という種類の衝突すらなしに淡々とこなされる「家族」。ひええ。

 途中の、こと子が右手を吊って食事の練習をするところは良かった。可愛くていじらしくて。全体にとにかく文章が流麗なのでするする読めてするする傷ついて、アルコール中毒患者に焼酎、濫読家に江國香織という印象があった。きっとまた手に取るだろう。歪んだものを通して見る光というのはなかなかどうして、うつくしいものだから。
 まあでもしばらくはいいや……。