右の眼窩

薄暗くて狭いところ

日記 五月十四日〜十八日

 友人と話をしていたらふと発達障害の話になり診断無いんだよねと言ったら病院に行けば二級くらい取れると思うみたいな返事をもらってそんな英検じゃないんだから。あれどうなんだろう、障害者を貶す人だとは思っていないしこちらに対しての悪意も見えなかったからたぶん字面通り「予測」なんだろうけど。持て余している。
 
五月十四日
 どうしようもなく飽きている。仕事に。プログラムに。世の中もう便利すぎて欲もわかないというか、その上で欲とは無関係な業務アプリ系をやっているから余計に、飽きる。砂漠で砂掘って壺埋めてみたいな気持ちになる。仕事だから当たり前なんだけど実現できて当然のことしかやらないからクリエイティブとか遠い。楽しくなくなっちゃったからUnityでも始めてみようかというのが最近の気持ち。
 
五月十五日
 起きる間際の浅い眠りの中で遅刻する夢を何回も見た。何回起きても夢の中。あれ系は本当に疲れる。起きたら十四時で、すみません今起きましたみたいな連絡をする。起きたら十二時で、午後から出ますみたいな連絡をする。起きたら九時半で、急がなきゃ間に合わない。本当はその時間では間に合ってない。そんな風に何度も起きて起きて焦って急いで、ふと目を開けたら六時にもなっていない。目覚ましが鳴るまであと一時間ある。果てしなく損をした気分になる。かつてアナログの目覚まし時計を使っていた頃は指でその針を巻き戻して二度寝に入るなどしていたのだけど、最近は目覚ましもスマホなのでそれができなくなってしまった。
 
五月十六日
 背中が痛い。どうしようもなく背中が痛い。姿勢が悪いのだろうと思う。なにしろ会社の椅子と机の高さがぜんぜん合っていないものだから何をどう調整したところでどこかしらに無理が出る。肩か首か背中か腰。そもそもノートパソコンというものが悪いのかもしれない。モニタとキーボードが近すぎて、楽な体勢というものが無い。一番楽なのは椅子に正座することだけれど、そうすると画面が低すぎて首に無理が出る。うまくいかないものだ。
 
五月十七日
 私はとある友人を平気で犯罪者予備軍呼ばわりするけれども、それは友人との間でコンセンサスが取れているせいだ。他の誰にもそのような振る舞いはしない。私と友人は自分を犯罪者予備軍だと思っている。というよりも全ての人間が犯罪者予備軍だと思っている。それをお互いに知っているから、平気で犯罪者予備軍扱いする。そうしてたとえ彼や私が本当に犯罪者になったとしても、それで互い今まで積み上げた価値や信頼というのは、揺らぐものでもない。犯罪者予備軍だということを前提として、私は彼を無二の友人と思っている。
 
五月十八日
 もしかしたら「目の前の他人の価値は自分で決めてよい」という価値観がまずマイナーなのではないだろうかとちょっと思った。みんなから好かれている人を嫌ってもいい、みんなから嫌われている人を好いてもいい、何かに対しての自分の好悪は他人と一致しなくてもいい。これがもしかしたら、考え方としてマイナーなんじゃないか。ドラマとか漫画とかは百万人に共感されるためのものだから「みんな知らないこういうところがある」みたいな理屈付けがなされるけど、自分ひとりの好悪に理屈なんて別にいらない。誰を理不尽に好きでもいい、何を理不尽に嫌いでもいい。それが欠けているから、「両親に大事に育てられた目の前の人を大事にしよう」みたいなとんちんかんな方向に吹っ飛んじゃうんじゃないか。
 誰に大事にされなくても自分がその人を好きなら大事にすればいいのだ。誰に崇拝されていようが自分がその人を嫌いなら遠ざければいいのだ。その程度のわがままでひとりぼっちになれるほど、この世界の人口はささやかではない。
 
 いつぞや書いて放置しているプロットでこういうのがあった。親にネグレクトを受け愛を知らずに育った人間。好意の示し方がわからず、受け取り方もわからず、ただ枯渇して毟り取って暴虐の限りを尽くして、それでも乾いたままのさみしい人間。自分を愛してくれない人を愛する必要はないけれど、じゃあ生家で無償の愛とやらを受け取ることができなかった人間は一生、愛することも愛されることも許されないのか? というようなテーマ。バッドエンドです。別に愛を知らずに育った人間は愛されちゃいけないっていうテーマじゃないんですけど、書いてるうちに主人公がどうしようもなく甘えたグズになってしまってもうこれ梯子外して蹴落とすしかねえなって感じになっちゃっててへぺろ。筆が止まっているのは「作中何回濡れ場書きゃいいんだよ」という全く別の理由による。