右の眼窩

薄暗くて狭いところ

かたちのない齟齬

 仕事がしんどい。

 具体的に、上司の指示がさっぱりわからない。
 意味はわかる。意義はわかる。でもさじ加減という部分で致命的に理解が及ばない。

 たぶん上司は私を育てるために曖昧な指示を出している。私が自分で考えて答えを導けるように。でも考えて考えて提出したものにバツが来る。ここはこうした方がわかりやすいだろうと言われる。同意を求める音色。でもわからない。わかりやすいというものがそもそも私にはわからない。

 ケースバイケース!!!!!!と叫んで机をひっくり返したくなる(重量的に無理だろうが)のを堪えて、そうか、この方が「わかりやすい」のだなと逐一学んでいるつもりでも、直したものにまたバツが来る。繰り返しているうちに心が萎えてくる。私の考える「わかりやすい」というそれそのものにバツがつくような気分になってくる。

 もちろん仕様書もソースもわかりやすくなくてはいけない。なぜなら追加開発や保守対応をするのは私ではない可能性が高いから。わかる、わかってる、でもわかるって何だ。

 ちょっとわかってきたつもりで「ここはこう直した方がいいですか」みたいな質問をすると否と言われる。それはしなくていい。こっちはこうした方がいい。これはだめ。これはいい。はい。はい。ありがとうございます。私はだんだん指示待ちのイエスマンになる。

 こうして書き出してみるとパワハラっぽい〜と思うんだけどなにぶん自分もおかしい。ユニークだ(変だ)ムードメーカーだ(空気が読めない)と言われ続けて育って、今更何が正しいかなんてもうわからない。きっと全部わたしが間違っている。そのように思う。

 一番長く続いた会社ではずっとひとりだった。誰も助けてくれず、誰も協力してくれなかった。寂しくて虚しくて転職したのだけど、結局ひとと合わせるという機能がわたしには無いのかもしれない。はい。はい。わかりました。ありがとうございます。本当はわかっていない。鵜呑みにする以外にできることがない。

 他人との会話はほとんど音楽ゲームで、タイミングよく正しい返事をする。そのために常に相手の顔色をうかがう。相手を不快にしないために全神経を集中させて、だから相手の話なんて少しも聞いていない。聞けない。そんな余力はない。

 相互的な信頼関係というものにもう随分長いこと憧れているけれど、そもそも人間が不向きだ。私は何かのプロトコルを持っていない。それは例えば常識と呼ばれるものだったり、あるいはバイアスと呼ばれるものだったりする。

 たぶん何かを間違えて生きてきた。その正体不明の「何か」は今もたぶん膨らんでいる。だって私は音楽ゲームに必死になって、ぜんぜんちゃんと生きていないのだ。目の前の他人をつぶさに観察する時間すら取れないのだ。そのようにして年々弱り、疲れ、友人との関係の維持すら友人に全部負担させて、そのくせ立ってもいられない。