右の眼窩

薄暗くて狭いところ

日記 2019年10月15日

 会社で「対面で話しましょう」みたいな話があって鬱々としているので書く。

 私が勤めているのは市内のシステム企業だ。Slackが導入されていて、私はそれがとても気に入っている。絵文字使えるし。唯一既読通知機能が無いのだけ不満だけど(DMにくらいあってもいいだろと思う)概ねはSlack大好きである。

 でもそれだけじゃいけないよねというのが今日のお話だった。曰く、Slackより対面で話した方が表情がどうとかコミュニケーションが何とか。そうなんだろうなと思う。普通は。

 私は人の表情がよくわからない。笑っていれば笑っているなと思うだけで、それ以上の情報を得ることができない。できないからよくわからないのだけど、世の中の人々はもっとたくさんの情報を表情とか声とかなんかから受け取れるっぽい、ということだけ想像している。

 私はSlackの方が良い。表情筋を動かすよりも絵文字を入れてくれた方がよほどわかりやすい。私自身あまり愛想のいい顔ではないから、人と対面で話すときにはボディランゲージを増やして伝わりやすいようにしている(これについては滑舌が悪いことに対するカバー策でもある)。

 その上あんまり耳が良くない。神経を尖らせて口元を注視してどうにか聞き取っている具合である。音としては聞こえているんだけど、それを脳内で言葉として組み立てるのが難しい。同音異義語を脳内で漢字変換して意味を理解するのにひどく時間がかかる。

 会話の速度で考えることが苦手で、言葉を聞き取ることに注意するあまり話を全然聞いていない場合があり、返答を考えているうちに過集中に入って顔の前で手を振られることがある。チャットならば一分二分考え込んでも問題はないが、対面での会話では良くない。

 私は会話のログが残らないことを悪だとすら思っているので(DMも基本的には良くない、業務にまつわるすべての会話はオープンチャットに記録が残るべきである)対面での会話も電話も嫌いなのだけど、どうもそれを上回るメリットがあるっぽい。わからない。わからないとつらくなる。

 私はなにかを間違えていて、私はなにかができていなくて、私はなにかがわからなくて、そのなにかがなんなのかもよくわかってなくて、それがつらい。いつまでこのまま「よくわからない世界」をやり過ごし続けるのだろうか……それともいつかわかる日が来るのだろうか。

 別件。

 接続詞はおろかてにをはから使えていないようなひとに「君は読解力がない」と言われたことがあるのだけど、そんなところまで読解力に含められても困る。コミュニケーションコストをこっちに丸投げしないでほしい。私だって文法エラーを吐いて落ちたい。あと仕様書で未定義語を使わないでほしい。参照エラーで落ちたい。