右の眼窩

薄暗くて狭いところ

日記 2019年10月26日

 思考は繰り返す。
 生きているから死にたい、というのが、そういえば私の原点だった。
 生きているから死ぬ。私も、私の大切な人も、絶対に死ぬ。それがどうしようもなく怖い。怯えて生きるのに疲れたから死にたい。死ぬのが怖いから死んで楽になりたい。どうしようもないことだからと受け入れることがどうしてもできない。
 自分が死ぬのはまだいい。怖いけど、まだいい。大切な人が死ぬのは嫌だ。受け入れられるわけがない。生き続ける限り、大切な人を喪う確率は上がっていく。受け入れられない。それが来るより先に死にたい。一刻も早く死ななくては、明日も私の大切な人が生きていてくれる保証など無い。

 私が感じているのは不安ではない。罪悪感でも、不満でも、怒りでも、落胆でもない。恐怖だ。考えようでこの恐怖は消えない。受け入れられない。マインドフルネスも気の持ちようも役に立たない。
 私の世界は未だ不安定なまま、眠ることに怯え別れに怯え、一秒ごとに疲弊していく。

 割と本気で、私に必要なのは薬でも認知療法でもなく宗教では? と思う。死後の世界。
 ただそれを信じることにすると、数年前に亡くなった愛犬が可哀想なのでどうも信じる気になれない。あんなに臆病だったのだ、死後の世界があったとしたって、知っている人などひとりもいないで、周りの色々なものにひとりで怯えているに違いないから。