右の眼窩

薄暗くて狭いところ

2019年05月30日

「生きたい」は尊重されて「死にたい」は尊重されないの、どっちかっていうと前者も別に尊重はされていなくて、生きるのが正しいのが動かない前提としてありそれに合致したから尊重されているように見えるだけではという気がする。結局は自分の認める意見に阿る人間だけ尊重するふりをするということだ。
 先天性の病気で頭にメスを入れているので(メスというかドリルくらい入れてるのでは感)(頭蓋骨が具体的にどう処理されたのかわからない)もともと献血に行けないのだけど、煙草を吸っているとそれを煙草のせいにできるので、なんていうかな、罪悪感を逃がせるんだよね。どんなに健康にに生きてても献血はできないし、そんな罪悪感に駆られるくらいなら煙草吸ってる方がいい。
 私は生きている限り罪悪感から逃れられはしないだろう。生きている罪悪感から希死念慮が生まれ、生きているのに死にたいということがまた罪悪感を生むループ。なにしろ頭を患って生まれたので「生きたい」「学校に行きたい」と願う子どもたちの存在など物心付く前から知っている。そうして同時に「幸福に生きたいの間違いだろ」「平和で安全で友だちが居ていじめられもしない学校に行きたいの間違いだろ」みたいな感情もある。理想をこちらに押し付けられても困ると思うし、別に誰も押し付けてきていない。生きてるのに、健康なのに、どうして幸せじゃないの、という罪悪感が私の首を絞める。
(というか「生きたい」とか「学校に行きたい」は親を含む周囲から幸福のイメージを刷り込まれた結果だと思うんでアレもアレで虐待に近いんじゃねえのとは思ってる)(哀れむことを悪とまで言わないけど他人の感情を搾取して悦に入るのはやめようね)(子供だって空気を読むので病院内で衆目にさらされるような七夕飾りに書ける願いなどそこそこ限られてはいるのだ)(それはそれとして生きたいという感情自体を不健全と認識してる私も良くない)
 別に不幸ではないと思う。五体満足で、少ないながら友人がおり、家族もいて、仕事があって、自分の稼ぎで十全に生活している。ぜんぜん不幸じゃない。でも幸福感は無い。やり過ごすみたいにお酒を飲んで時間を潰す。このまま人生の全部をやり過ごすなら今死んでも同じだと思う。
 おいしいものが食べたい。お酒を飲みたい。面白い本を読みたい。よい音楽を聞きたい。でもそれらは生命の上に乗っかっている望みであって、そのために生きようと思うほどのものじゃない。苦痛を誤魔化して時間をやり過ごして命をつないでいるだけの現状、生きている意味とかは特に無い。
 
```
「この世界はマキが思ってるほど美しくはないよ。誰だって強いわけじゃない。弱い人間も、ずるい人間も、ちゃんとこの世界にはいる。許すとか許されるとか、そんなのは無い。みんながみんな、ただ生まれて、ただ生きて、ただ死ぬ」
 ただ生まれて、ただ生きて、ただ死ぬ。無意味に、苦しんで泣いて。そんなの、最悪だ。
「最悪と最高は実際そんな変わんないよ」
 大丈夫。死神は言う。マキなら大丈夫。優しくて真面目で、とびきりの美人だから。
```
 
 上記はかつて私が書いた、私の文章だ。
 人間なんてものは薄皮一枚剥けばみんな化物だ。でもそれが滅多に見えない。浅いつながりしか無いと余計に見えにくい。自分ばかりが化物のような気がして息苦しく、誰にも近づかずにいるとどんどん孤独ばかりが深まってしまう。
 
 そういえば「死神様のお気に入り」の主人公、なぜ「ほりきたまき」にしたかっていうと、ドラマ版の野ブタをイメージして作ったキャラだからですね。ドラマだとほら、結局は女優さんだから(今はもう辞めてしまったけれど)どうしたって美人で、こちとら素人小説なのできっちりブスにして書いたんですけど。
 暗くて笑うのが下手で声が小さくて、でも優しくて真面目な女の子。野ブタ好きです。原作小説読んでいないのであくまでドラマ版だけの評価ですけど。原作先に読んだらどう感じただろうなあの改変。
 マキちゃんについては、一応きっちり死ぬまで生きて、今際の際に死神さんと再開する話があったりなかったりします。書いてはあるけどどこにも公開してないから無いに等しい。